全日本吹奏楽コンクール

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概要

毎年、夏休み頃にかけて、地区予選、都道府県予選が行われ、夏休み明け頃に支部予選が行われ、芸術の秋に全日本吹奏楽コンクールが開催されます。特に高校の部がアツイ。うまくなってきた頃だし、知能的にも音楽というものを理解できる年頃でありつつも若々しさあふれるパワーあふれる演奏が予選から全日本までのすべてを通して、鑑賞することが出来るコンクールです。


大学・職場・一般の部はさらに技術が高いですが、参加団体数が減るので、技術以外の演奏にかける思いがイマイチ伝わってこないような部門になっています。


ある意味。正統派クラシックって感じなので、もちろん高校の部よりも美しい音色がより多く聞けるのは間違いないような気もします。あと、開催場所が普門館ではないことも起因していると思います。


記事の作成時点では高校の部の会場が普門館でしたが、現在はつかわれなくなったみたいですね。普門館を鳴らすという熱意は今ではなくなりつつあるようです。


普門館は、ある意味、たんなる宗教団体の集いの場であり、音響を考えたホールではないのですが、吹奏楽界では聖地として扱われます。このホールで響かせるには、相当の練習が必要になります。


だからこそ、ある年のある団体の名演が記録された場合には、語り継がれるほどに賞賛されるのだと思います。ちなみにチケットは入手困難です。自分も大人になってからは一回しか行ったことないし、学生のときは2回行きましたが、一度は先輩たちのお手伝いとして観客席にいました。二度目は自分たちの世代ですが、黒子的存在として部の仲間が演奏している舞台の横でタイムキーパーをやっていました。技術力のない自分に与えてくれた心遣いのある役割だったのかも知れません。ありがたいことだと今でも感じていますし、やり残したこととして、いまでも悔しい気持ちにもなりますが、あれがあったからこそ、今の自分の生き方が出来ているとも思います。


前に出れなくても、無駄な存在の人なんていやしないし、たとえ、前に出る機会があったとしても、それは、前に出れなかった人が、きっとなんらかの形で自分を支えてくれたり、悔しい思いをしている人がいることを忘れずに振る舞えるのだと思います。前に出れなくても、人知れず輝いていたい。そう思えるのです。


そんな風に、人の生き様までを左右させる大会でもあるわけです。


吹奏楽ってどうやって競うんだ?
なにがどう凄いんことなんだ?
まったくその通りです。


いまだによくわからないこともあるし、わかる部分もあります。


どうやったら勝てる?
どうやったら全日本まで進める?
そしてどうやったら金賞を受賞できる?


いまだによくわからないこともあるし、わかる部分もあります。


ある人気のロックシンガーと同じように日本中を感動させるような、とあるミリオンセラーの楽曲をライブで演奏するような振る舞いで心に残る演奏を吹奏楽として実現できたら、きっと、そうなると思うのです。そういうのって、技術もあるし、気持ちも入ってるし、それが人に伝わるし、凄味もある。とあるの部分が難しい個性になると思いますが、それぞれのやり方を貫いてほしいとも思います。ただの真似ごとでは、感動させられない気がします。とんでもない真似ごとなら、それはそれでありかもしれませんが…


技術的なところとしては、


譜面どおり演奏すること
縦の揃い、出だし、止めるを揃える。
楽器を鳴らすこと。これは楽器ごとに目指すところが違います。ダイナミックレンジが広がります。打楽器なんかだと叩く位置や勢い、あたり角とかで音が変わります。これは体験によってしか得られないと思います。仕組みや原理が解明されていない部分もあります。このような細かい修正を奏者全員が追究しないといけません。一人だけが出来ても全体でできないなら調和が乱れます。
和音としての響きを確かめること。とくに人間が響きを感じる部分は身体や耳が覚えるくらいまで全員で共有すること。純正調と平均律を駆使します。
楽団としての曲に対する方向性を統一します。
見た目で曲に不愉快な印象や曲と関係ないことをかんじさせるものが舞台にない状態になっているか?楽団の印象が悪ければ、既に曲自体は死んでいるのと同じです。
上記は普段の振る舞いでも大きく影響します。
セコイ技術もあります。いわゆる誤魔化しや噂による前評判の操作です。一朝一夕にはなしえない技です。これは正しい努力や風土によって獲得できるものです。赤ちゃんが科学技術計算ができるとしたら高評価をえられます。おそらく、youtubeでも、ものすごいページビューになります。
機敏な群衆行動もできるとなお良しです。舞台にあがるところからはけるところまでが、何気に曲の印象を変えます。
他、わたしは何でも知っているわけでもありません。知っていることだけ。正しいかどうかも、それぞれが個別に判断してください。


いろいろと技術的な判断基準を書きましたが、これらを導くのは、主にリーダーです。皆で力を合わせてリーダーと共に音楽を作る作業をしてください。噂によると演奏の最初の5秒でおおかたの評価が決まるそうです。ほんとか?


でも、こんなの審査してたら頭おかしくなりそうです。一日中。朝から夕方までずっと同じ曲といろいろな演奏を聴き、似たり寄ったりの音楽に優劣をつける。耳が肥えてないとできない仕事ですよね。でも、まぁ審査ってそれほど間違わないんすよね。さすがです。

見所・聞き所

利き所といっても、毎年どうなるかわからないです。
すくなくとも有名な指揮者は全日本までの出場常連団体として、毎年のように這い上がってきます。
それは勝ち方をしっているからです。人を感動させる演奏を知っているからなのです。
だから、どんな演奏者になったとしても、それを最大限に生かし、引き伸ばし、優れた演奏ができます。
逆に、演奏者側から、いろいろな提案を受けて育っていくこともあるとは思います。
ある年にだけスーパープレイヤーが現れたなら、その団体はその年を起点に伸びることもあるやもしれません。
指揮者と演奏者が一体となって作り上げるのが音楽でもあります。一人では成り立たない。社会と同じ構造を持っています。団体で行うスポーツもですけど。

まずは、その常連さんの演奏がきける会場で、一度聞いてみてください。
そのときに他の団体さんも聞けると思うので、技術力の優劣など考えずに楽しんでみるのが一つです。
ただ聞くのではなく、自分の耳を確かめたいのなら、一団体ずつ、技術力、表現力、選曲、音楽を審査しながら聞いてみてください。
そして、最後の表彰式で自分の考えた審査と一致しているか確かめてみるとよいと思います。
わかってきたら、素晴らしい音楽とは何かが理解出来てきます。
きっと、いい評価をあたえた時には、いやぁこの曲初めて聞いたけど、いい演奏だったなぁって思えると思います。
あー、この曲、知ってるけど、ちょっと残念な演奏だったなぁとか。
でも好きな曲を演奏してくれたし、楽しかったって思えると思います。
どんなに下手くそでも、それなりに聞ける程度にはなってることが多いです。

コンクールの部門にもよりますが、各団体は課題曲(4種類~5種類)と自由曲を合わせて12分の持ち時間で演奏します。

どうですか?この曲いい曲でしょ?という曲を各団体は自由曲にもってきます。
ですから、好きな曲を見つけることもできるでしょう。

課題曲も、何度も何度も聞いてる内に、曲の良さを理解することができると思います。
課題曲は公募して、厳選なる審査をして決められた曲です。ある程度、いい曲に仕上がってます。
そして、演奏するにあたり難しい要素や解釈も取り入れられています。

そして、こんな素晴らしい体験ができる演奏会・コンクールが地区大会なら一日800円程度で聞けます。
暇な人にはもってこいなクラシック体験だと思います。800円でいびきをかかないひとならぐっすり眠ってもいいわけです。心地よいです。

それが吹奏楽コンクール。全日本まで行くと質がいいので、午前の部だけで2500円、午後の部とわかれてたりします。

涙あり、笑いあり、カッコよさあり、無様なものもあり。いろいろそろってます。
クラシックに興味のない人でも何回も聞いていたら、おーこの曲なんか好きだなぁって思えることがあると思います。
まぁ大概そういうのは、有名な曲ですよ。あなたの感性と世界の感性は似たり寄ったりです。

音楽は何度も来てるうちに、その良さがわかることもあります。
是非、何度も、何度でも聞いてほしいですね。

地区予選もう始まってるかもしれませんよ?興味がわいたら早めにチェック!チェック!スケジュール確認して足を運ぶべし。