人格
概要
自分と言う人間はどういう生き方が良いと思っているかをココにしたためておく。
人とは欲のある生き物だが、なるべく欲は無くしたいと思う。だけど、最低限の生活って奴をするために日本人は資本主義社会の中で経済活動をするし、それなりに欲をもって生きている。ココでいままで記したように自分と言う人間はパソコンを欲しがったり、スマートフォンをもっておきたかったりという欲がある。ご飯もできるだけ白い米を食べたいと思うし、朝には食パンくらい食べたい。できればデザートにヨーグルトやらコシアンの和菓子やパンといったものを食したいし、たまには外食とやらで、自分では作れないものを1000円以内くらいのものを食べたい。付き合いで3000円~7000円くらいの無駄な外食をすることもある。このようなものはどちらかというと贅沢だが、なるべく無駄なお金を使わない質素な食事でなるべく健康に生きていたい。
この記事含め、他の記事でも何気に志し高そうなことを述べていますが、実際の行動は超適当ですし、記憶力もわるいし、顔もイケメン(他の人の意見によると中の上くらいらしい)ではないと思うし、大学はまだ卒業出来てねぇし、会社ての評価も人並外れて低いし、取柄らしき取柄はないです。絵も下手、歌は下手の横好き、音楽センスないし、会話も知識も大した力量はない。伝統工芸とか皆無。ただ死にそびれて生きてるだけの人生といってもなんら遜色無い。社会的改善活動や意思表示行動もしてない。知らず知らずに自分を正当化したり、捕まらないならこれくらいのことはみんなやってるし自分も便乗とか、そんなことだってやってる部分あると思います。後ろめたいことを抱えて生きてるといってもよいくらいですが重大な犯罪や他人を不幸のどん底に突き落とすようなそんなことだけはやってないし。エロい心はあっても迷惑条例にかかるようなことはやってない。でも、今の時代、ネット民に目をつけられて、過去までほじくり返されたりして、社会的抹殺とか、されたりとかあるし、自分がいつの間にか警察や司法によって裁かれている未来はあるのかもしれない。
そうはいっても割かし真面目に生きてはいるつもり。
物欲もなるべく抑えたいが現代の便利な社会に生きる人間だから楽をしたいと思ってしまう。今や生活物資はお金で買えるし、経済社会の競争原理のもと100円くらいでお菓子が買えたり、弁当が300円で買えたりするから、このような便利さを享受して生きている。甘えだ。自分では何も食料を生産していないし、飲み水だって公共のサービスをお金で買っている。エネルギーも使う。便利な道具を動かすために電気を使い。ガスを消費する。このような便利な道具を手にするからにはそれなりの貢献が必要だ。便利なものをなんでもかんでも取り入れることなく便利を超えた贅沢にあたることはしたくない。それはどういうことか?着飾ると言うのがただしい表現になるのかもしれないが、生活する上で必要のないものには欲をださない生き方を選択したい、衣類だって最低限でいいし、素材だって機能性を重視する。見た目のダサさが最低限なければブランドなんて必要ないし、与えられれば拒まず着る。物欲を抑えるとは自分の中ではその程度だ。
そして、なにより人生の目的とはなんなのかを自分は知らないし、正解を聞いたこともない。ひとつには人類にうまれたのだから同じ人類というグループで貢献することが大切なのではないかと思う。地球に生まれたという枠組みで考えれば全てを愛することになるが、自分は弱肉強食の食糧循環の中で生命を食すし、植物の生命活動や動物あるいは生き物全般の恩恵を受けるし、個人的に嫌いな虫がいたりするので、あまり大きな枠組みで貢献を考えるとキリがない。だから自分は人類という枠組みで貢献したい。
そうすると誰かと愛しあい、子孫を残しつつ生きていくのが目標にもなるから、やはりエロいこともやりたい。いや、純粋に子孫を残すための営みといった方が誤解が少ないかもしれない。そして、育ててくれた家族を敬い、慕いたいし、同じような考え方をしている人を慕い、応援したい。このあたりはごく普通なことだ。しかし、人と人の付き合いは不平等と平等があって、愛したり、嫌ったりする。不平等はきっと存在するし、なくせない。でも、その不平等を感じないように生きていたいし、誰にとっても自分という存在が不要ではないといわれるような、そんな生き方をしたい。
今やっている仕事は、きっと未来の技術を支えると信じているし、みんなの人生の思い出を残すことにも貢献できると思う。決してお腹をみたせるものではないけれど、暮らしやすい社会を形成するための道具だと信じているし、より安全で健康的で平和な生活を実現できる道具になっていると思う。だから今は、その中の小さな歯車だけどなるべく大きな歯車になるようにしていきたい。決して偉くなりたいわけではない。今の仕事がより円滑になりさえすればなんだってやっていこうと思うし、力の限りでしかないけれど活動したい、きっと自分自身が力の限りを尽くしたところで、そこいらの人よりもきっとたいしたことは無いだろうし、人類の平均的な貢献度って奴があるとしたら、ずっとずっと下の方だ。下から数えた方が早いはずだ。そうは言っても、そんな自分でも、自分の持つ浅はかな欲があって、そのために見返りは必要とは感じる。でも、お給料だって最低限の生活をできる程度でいいし、だれかと愛し合い、親しみあい生きていける程度で十分だ。そういう気持ちで生きていたいし、いろいろ考えを巡らせて、人生を終えたい。精一杯、考えを巡らせて、それで生きていく。
みんなが面白いと思うものを知って、共有して、そうやって遊ぶこともする。生きてるうちにどんどん考え方はかわっていってるのかもしれないけれど、価値観を共有して生きていたい。わかりあいたい。
僕の人格とは、全てを言葉に表すのは難しいことだけど、単純には、そういうことだ。人生に誤解はつきものだ。言葉足らずで人に嫌われることがあってしかるべきだし、最低限の生活の基準がひとそれぞれだし、やり方も違うし、貢献しているという思い過ごしや考え方の齟齬(ソゴ)があるかもしれない。
でも、だいたいそういうことだ。