「意思疎通」の版間の差分

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(ページの作成:「=== '''概要''' === 死刑に値する基準とは何か?死刑は必要か?償うとは何か?犯罪者は更生するべきなのか?更生の判断とは何か?刑期は現状の刑法などの規定で正しいのか?犯罪者と被害者をとりまく社会の仕組みに改善の余地はどれだけあるのか?いろいろな問題がありますが、自分の思うところの処罰法をひとつ書いておきたい。 たとえば、…」)
 
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=== '''概要''' ===
==='''概要'''===
意思疎通ってのは、英語とかだとコミュニケーションって奴でよく使われている日本語でも表現できる内容とだいたい一致するものだと思っていますが、意思疎通の方がもっと広範囲な意味がありそうな気がしたので、こちらの表現を使いました。


死刑に値する基準とは何か?死刑は必要か?償うとは何か?犯罪者は更生するべきなのか?更生の判断とは何か?刑期は現状の刑法などの規定で正しいのか?犯罪者と被害者をとりまく社会の仕組みに改善の余地はどれだけあるのか?いろいろな問題がありますが、自分の思うところの処罰法をひとつ書いておきたい。


人と人との関わりあいなので、自分の人格がいくら正しいと思っていても、人と違えば、自分の人格の考え方というのはただのうざったい押しつけになってしまいます。どんなに自分の考え方と違っていても相手の気持ちを最大限に汲み取ってあげようとすることが意思疎通だと思っています。だから、他人とはある意味、理解不能なモノであり、ドラマで言えば、ヒーロー、悪役、悪役の手下、エキストラ、尊敬している人、敬愛している人、人生を共にする人と様々な役割をあてがい、自分の中での位置づけをしていくものです。そして自分自身の立ち位置も自分なりに把握して、それで、人と人が関わっていき、現代の情報交換の手法の全てを駆使して、心に思っているものを相手に伝えたり、人を動かしたり、動かされたり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、喜んだりするのです。自分の信じていた人に、裏切られた時の怒りは、それを乗り越えて笑いに変えていける近道でなければならないし、笑っている時も、相手を常に笑わせ続けるためのものであり、相手を怒りの果てに泣かせてしまったり、心に突き刺さる出来事があって泣いているときも、タイミングをみながら時間をかけて、笑いや喜びに変えていける意思疎通があったのなら、それは自分の願うところの意思疎通であります。


たとえば、ある被害者の身になって考えてみると、肉親が何者かによって意図的に殺害されたのだとしたら、残された自分は、その犯罪者にどのような刑を望むだろうか?どうしてほしいと考えるのだろうか?


この長ったらしい記事を読んで不愉快になっている人がいるとしたら、自分自身の文章もまた下手くそな意思疎通だったのだなぁと感じるところでありますが、このWebページは一方的に自分の思いを記述しているだけなので、いろんな人がいるんだろうけど、特に耳を傾けたくないというか、いろんな人がいるので耳を傾けられないというのが正直なところで、Webでの意思疎通にはある程度の工夫がなければ、なかなかうまく意思疎通もできません。技術的な問題もあるわけです。たとえば、心無い人達によってWebコメントがあらされたりすることもあるわけで、いわゆるブログスパムやコメントスパム、掲示板荒らし、こういった問題を解決しなければいけません。


もちろん、殺害された以上は、現代の科学では、殺された肉親は何をどうやってもかえってこない。お金をいくら積まれたって、お詫びを何回されたって許せないと思うに違いない。やえもすると、犯罪者(加害者)を殺してしまいたいと考えるかもしれないと想像するに至る。殺してしまいたいとは思わないにしても、誰かが代わりに加害者の命を絶って、とりあえずは許されない事をしたものが、被害者にかわって生きているという状態を打破して一定の心の落ち着きを求めるかもしれないし、それによって失われた価値に値するものをお金でもいいから欲しいと思うかもしれない。お金があったって、何もかえってこないが、弔うこともできるし、肉親が与えてくれたであろう価値を享受したいとも思うのかもしれない。


現在のWeb意思疎通改善システムとしては会員型認証システムによるコメント投稿システム、匿名性を維持したものとしてはロボットやスパムプログラムによるコメントを排除するための画像の中に投稿用認証ワンタイムキーをグニャリとひずませて、人間の認知能力によって解読し、ワンタイムキーを照合するシステム(CAPTCHA=Completely Automated Public Turing test to tell Computers and Humans Apart:キャプチャ)、NGワード規制、NGホスト規制、メール認証システム、本人郵便確認型システム、事務局窓口会員登録制システムといろいろな手段が発案されています。どれもシステム開発が必須ですし、完璧ではないです。完璧に近いものもあります。ただしトレードオフ関係があって、一定の層の思想を排除することになっていて、システムによって排除されている有用な意見もあります。双方向とは難しいものです。ここちのよい他人数双方向意思疎通システムというのは構築が難しいのが実体です。


加害者の側から考えれば、代償は計り知れないので、金銭に関わる置き換えの議論はここではやめておく、可能性で考えればキリがない。ただし、加害者の刑罰とは一体どうあるべきなのかを考えれば、やはり被害者遺族の納得の行く形になるべきなのではないかと思う。遺族よりも被害者本人の気持ちが大事だが、死人にくちなし、被害者のことを思うのはやはり遺族だ。罪を憎んで人を罰せずとはいうものの、いざ、関係者の立場になれば人を憎みたくなるのが信条だ。とくに刑法199条の殺人の刑は重い。元の状態には絶対ならないからだ。傷害を負った場合も同様だ。すくなくとも被害者遺族のより肉親にあたる親等ってやつの数字が小さい人(密接な人)の意見は尊重されるべきだと考えてしまう。


意思疎通はもともとそういう性質のものだと考えています。よく風俗ギャルたちがブログなんかをやっていて客の関心をひきよせるためにこの手の情報発信をしますが、双方向であることはほとんどありません(よく調べていません。ぁゃしぃ…)。このようなシステムを活用する風俗業界メンズたちもいるかもしれません。その昔、芸能界の芸能人、タレント、人間国宝と会話する手段はなかったわけです。一方通行の時代に何が問題あったでしょうか?いつか、あの人に会いたい。そういう気持ちを奮い立たせるのが情報発信の根源でもあったし、憧れをつくっていた時代もあったのです。


であれば、刑罰・処罰は望まれるカタチで執行されて然るべきだ。ある遺族が、殺しやりたいとおもうのなら殺させてあげてもいいんじゃないかと思ったりする。ある遺族が、誰かが代わりに殺処分してほしいと思えば、それが叶ってもいいのではないか?そう思う。


うまい双方向システムを構築できるといいですね。NHKのツイッター表示連動放送とかは、だれかがツィートを振り分けていると思いますので、あれなんかも、面白さは振り分ける業務やプログラムをしている人の手腕に委ねられていて、それなりの技術力がいるのだと思います。たのしくなくっちゃWebじゃない。そう思ったりもしますが、楽しくないことがいっぱいなのがWebの現実だということも少し理解しておかなければなりません。人々はよりよいシステムのもとに集うのだと思います。


但しだ。罪を憎んで人を罰せずとはよく言ったもので、殺されるからには殺されたなりの理由がある場合がある。これがややこしい。殺される理由が無いと確実に判断できる場合には遺族の望み通りでいいと思う。殺された理由がなんなのか?社会が悪いのか?被害者の生い立ちが不運だったからなのか?こういった判断が難しいから、現状の刑法や判例が採用されていると言っても良いと思う。考えに考えた末が今のカタチだ。もっと考えなければならないのかもしれないが、現状で考えに考えた末のカタチであるのは間違いない。自分がいざ、その当事者になる前に、客観的にこの現状の刑法や判例を議論することをしておかなければ、正しい刑罰・処罰のカタチは発展しない。


意思疎通を欲していたりいなかったり気まぐれな生き物なのです。話しかけたら「今忙しいから…」って言われたことあると思います。そういうことです。タイミングもあります。好きなタイミングで意思疎通したいし好きなタイミングで意思疎通を止めたい。今すぐ返事をしなくてもいい。LINE既読問題。意思疎通とはそういう性質なのだということを全員が冷静に理解できたら笑顔が増えるかもしれないし変わらないかもしれない。


かわいそうに…と思うような事件は多々あるし、昨今ではそういったたぐいの情報も拾いやすくなっている。事実を冷静に分析し、より正しい刑罰や処罰のカタチをもとめていかなければならない。




自分はその議論に発展的な行動はしていないのだから、当事者になったとき、その無念さを自分の過去に照らし合わせて悔いるしかないのだろう。より平和で事件の起こらない社会になることを願うばかりだ。社会へのちょっとした貢献ができればたいしたものだが、どこまでできることやら。
意思疎通はできないよりできた方がいい?それはどうでしょうか?黙って過ごしたら早死にしそうな感じはありそうですが、意思疎通で死んでしまった人もいます。どうなのでしょうか?あなたのわたしの意思疎通はどうなのでしょうか?




これまでに無念を遂げた命の数々に祈りを捧げ、ご冥福あらんことを願う。
何がしたい?どうしたい?なんでそんなこといったの?なんでこんな記事読んでるの?それっておもしろい?何が面白かったか?人生ってなんだっけ?
 
 
たたみかけるように意志疎通の課題を提示しましたが、それほど意思疎通は難しくない。互いが互いを分かり合う作業。人間が死ぬまでに何度も何度も繰り返す作業。
 
 
意志が疎通することを目指して、世界を駆け巡る。
 
==言葉の解釈をめぐる意思疎通に関する事象==
*粛々(しゅくしゅく)
:沖縄県知事さんが、官房長官さんと会話したときに辺野古移設については粛々と進めるといったような発言を聞いて、上から目線だと不服である旨の発言をしました。確かに政治家のみなさんの中では、批判を受けても厳かに静かにたんたんと物事を進めていくという意味合いが強かったのかもしれません。しかしながら、この言葉も意思疎通の受け取り方ややり取り次第で解釈がかわることもあります。つつしんでとすすめるという意味合いもあるわけで、そのような、ものしずかな心持ちで、よく意見を聞いて進めるという解釈もあるらしいです。結局、意見の違う人が複数いれば、言葉の解釈を悪いように意味づけることで相手を批判することができるということになります。こういった言葉の意味のすり替えやすれ違いによって意思疎通がうまくいかないのですから、情報を発信するというのは難しいことです。日本語以外の各言語でも同じような問題はあると思います。かといって誰にでもわかる幼稚な言葉ばかり使っていると体裁が悪いということもあるようで、複雑な世の中になっているとように感じます。話し合いによる平和的解決が簡単でなくなっていることにもつながっていっているのかもしれません。

2023年1月27日 (金) 02:14時点における最新版

概要

意思疎通ってのは、英語とかだとコミュニケーションって奴でよく使われている日本語でも表現できる内容とだいたい一致するものだと思っていますが、意思疎通の方がもっと広範囲な意味がありそうな気がしたので、こちらの表現を使いました。


人と人との関わりあいなので、自分の人格がいくら正しいと思っていても、人と違えば、自分の人格の考え方というのはただのうざったい押しつけになってしまいます。どんなに自分の考え方と違っていても相手の気持ちを最大限に汲み取ってあげようとすることが意思疎通だと思っています。だから、他人とはある意味、理解不能なモノであり、ドラマで言えば、ヒーロー、悪役、悪役の手下、エキストラ、尊敬している人、敬愛している人、人生を共にする人と様々な役割をあてがい、自分の中での位置づけをしていくものです。そして自分自身の立ち位置も自分なりに把握して、それで、人と人が関わっていき、現代の情報交換の手法の全てを駆使して、心に思っているものを相手に伝えたり、人を動かしたり、動かされたり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、喜んだりするのです。自分の信じていた人に、裏切られた時の怒りは、それを乗り越えて笑いに変えていける近道でなければならないし、笑っている時も、相手を常に笑わせ続けるためのものであり、相手を怒りの果てに泣かせてしまったり、心に突き刺さる出来事があって泣いているときも、タイミングをみながら時間をかけて、笑いや喜びに変えていける意思疎通があったのなら、それは自分の願うところの意思疎通であります。


この長ったらしい記事を読んで不愉快になっている人がいるとしたら、自分自身の文章もまた下手くそな意思疎通だったのだなぁと感じるところでありますが、このWebページは一方的に自分の思いを記述しているだけなので、いろんな人がいるんだろうけど、特に耳を傾けたくないというか、いろんな人がいるので耳を傾けられないというのが正直なところで、Webでの意思疎通にはある程度の工夫がなければ、なかなかうまく意思疎通もできません。技術的な問題もあるわけです。たとえば、心無い人達によってWebコメントがあらされたりすることもあるわけで、いわゆるブログスパムやコメントスパム、掲示板荒らし、こういった問題を解決しなければいけません。


現在のWeb意思疎通改善システムとしては会員型認証システムによるコメント投稿システム、匿名性を維持したものとしてはロボットやスパムプログラムによるコメントを排除するための画像の中に投稿用認証ワンタイムキーをグニャリとひずませて、人間の認知能力によって解読し、ワンタイムキーを照合するシステム(CAPTCHA=Completely Automated Public Turing test to tell Computers and Humans Apart:キャプチャ)、NGワード規制、NGホスト規制、メール認証システム、本人郵便確認型システム、事務局窓口会員登録制システムといろいろな手段が発案されています。どれもシステム開発が必須ですし、完璧ではないです。完璧に近いものもあります。ただしトレードオフ関係があって、一定の層の思想を排除することになっていて、システムによって排除されている有用な意見もあります。双方向とは難しいものです。ここちのよい他人数双方向意思疎通システムというのは構築が難しいのが実体です。


意思疎通はもともとそういう性質のものだと考えています。よく風俗ギャルたちがブログなんかをやっていて客の関心をひきよせるためにこの手の情報発信をしますが、双方向であることはほとんどありません(よく調べていません。ぁゃしぃ…)。このようなシステムを活用する風俗業界メンズたちもいるかもしれません。その昔、芸能界の芸能人、タレント、人間国宝と会話する手段はなかったわけです。一方通行の時代に何が問題あったでしょうか?いつか、あの人に会いたい。そういう気持ちを奮い立たせるのが情報発信の根源でもあったし、憧れをつくっていた時代もあったのです。


うまい双方向システムを構築できるといいですね。NHKのツイッター表示連動放送とかは、だれかがツィートを振り分けていると思いますので、あれなんかも、面白さは振り分ける業務やプログラムをしている人の手腕に委ねられていて、それなりの技術力がいるのだと思います。たのしくなくっちゃWebじゃない。そう思ったりもしますが、楽しくないことがいっぱいなのがWebの現実だということも少し理解しておかなければなりません。人々はよりよいシステムのもとに集うのだと思います。


意思疎通を欲していたりいなかったり気まぐれな生き物なのです。話しかけたら「今忙しいから…」って言われたことあると思います。そういうことです。タイミングもあります。好きなタイミングで意思疎通したいし好きなタイミングで意思疎通を止めたい。今すぐ返事をしなくてもいい。LINE既読問題。意思疎通とはそういう性質なのだということを全員が冷静に理解できたら笑顔が増えるかもしれないし変わらないかもしれない。


意思疎通はできないよりできた方がいい?それはどうでしょうか?黙って過ごしたら早死にしそうな感じはありそうですが、意思疎通で死んでしまった人もいます。どうなのでしょうか?あなたのわたしの意思疎通はどうなのでしょうか?


何がしたい?どうしたい?なんでそんなこといったの?なんでこんな記事読んでるの?それっておもしろい?何が面白かったか?人生ってなんだっけ?


たたみかけるように意志疎通の課題を提示しましたが、それほど意思疎通は難しくない。互いが互いを分かり合う作業。人間が死ぬまでに何度も何度も繰り返す作業。


意志が疎通することを目指して、世界を駆け巡る。

言葉の解釈をめぐる意思疎通に関する事象

  • 粛々(しゅくしゅく)
沖縄県知事さんが、官房長官さんと会話したときに辺野古移設については粛々と進めるといったような発言を聞いて、上から目線だと不服である旨の発言をしました。確かに政治家のみなさんの中では、批判を受けても厳かに静かにたんたんと物事を進めていくという意味合いが強かったのかもしれません。しかしながら、この言葉も意思疎通の受け取り方ややり取り次第で解釈がかわることもあります。つつしんでとすすめるという意味合いもあるわけで、そのような、ものしずかな心持ちで、よく意見を聞いて進めるという解釈もあるらしいです。結局、意見の違う人が複数いれば、言葉の解釈を悪いように意味づけることで相手を批判することができるということになります。こういった言葉の意味のすり替えやすれ違いによって意思疎通がうまくいかないのですから、情報を発信するというのは難しいことです。日本語以外の各言語でも同じような問題はあると思います。かといって誰にでもわかる幼稚な言葉ばかり使っていると体裁が悪いということもあるようで、複雑な世の中になっているとように感じます。話し合いによる平和的解決が簡単でなくなっていることにもつながっていっているのかもしれません。